中也をめぐる
中也関連史跡を歩いてみませんか。
山口市には中原中也ゆかりの史跡も多くあります、お越しの際にぜひご覧下さい。

広域地図
詳細地図
エリアA(山口市役所周辺)
エリアB(湯田温泉周辺)
エリアC(山口市吉敷周辺)
エリアD(山口市小鯖周辺)

詩碑

井上公園の詩碑(いのうえこうえんのしひ)
マップ番号11番
 昭和40年6月、中原家近くの井上公園(旧・高田公園)に、中也の詩碑が建てられました。碑の設計は志水晴兒、石は徳山産の黒御影。詩句は中也と最も関係の深かった小林秀雄の手で書かれ、碑文は大岡昇平です。
 除幕式には、かつての中也の友人である、小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平、今日出海らも出席し、母フク、弟思郎の手で除幕されました。
 碑面の詩句は、詩集『山羊の歌』に収録されている「帰郷」の一節が刻まれています。
エリアB(湯田温泉周辺)

錦川通りの詩碑(にしきがわどおりのしひ)
マップ番号7番
 明治40年湯田の町に生まれた中原中也。詩碑は、この湯田の町の旅館やホテルが軒を並べる錦川通りにあり、「童謡」が刻まれています。この詩は、昭和8年9月の作で、後に「小唄」とともに「小唄二篇」と題されました。小学校の国語の本にも載用されていて、よく知られています。
 碑の文字は、中也直筆の原稿によるものです。
エリアB(湯田温泉周辺)

鳴滝の詩碑 (なるたきのしひ)
マップ番号17番
 詩集『山羊の歌』に所収の詩「悲しき朝」は、鳴滝の景が素材といわれています。昭和3年の春、中也は父の病気を見舞うために山口に帰り、そのとき小鯖の泰雲寺に参り、住職と会い、その案内で境内続きの鳴滝を訪れました。ここは、古くは修験者たちの修業の場で、岩に掘られた不動明王があり、岩壁に沿って山頂から垂れ下がった鉄の鎖があります。
 昭和61年、鳴滝の入口に、高さ3mの自然石を利用した詩碑ができ、「悲しき朝」の第1連が刻まれています。
エリアD(山口市小鯖周辺)

長門峡の詩碑(ちょうもんきょうのしひ)
マップ番号1番
 詩集『在りし日の歌』に所収の「冬の長門峡」の詩碑。この詩は愛児文也を失った後の昭和11年12月24日に書かれたものです。碑は、昭和63年に建てられました。長門峡は、阿武川の中・上流で、大正12年に国から名勝に指定された景勝地です。中也は少年時、よく一人で訪れ、友人の安原喜弘が来たときにも案内したといいます。
広域地図参照

七卿の碑(しちきょうのひ)
マップ番号11番
 中也の父・謙助が建設にかかわった碑です。謙助は郷土史の好きな友人に触発されて友人とともに「湯田七卿遺跡保存会」を発足し、毛利男爵を会長に据えて寄附を募り建設しました。大正15年11月11日に盛大に除幕式が行われました。井上公園の同じ敷地内には、後年中也の詩碑が建てられました。
エリアB(湯田温泉周辺)


史跡

中原中也生誕の地(なかはらちゅうやせいたんのち)
 昭和47年、中也の生家は火事のため焼失。玄関先の車止めとして使われていたイブキの木は焼失を免れました。その木の下に、昭和59年、中也の弟思郎氏の夫人である美枝子氏が生誕の碑を建立。現在はその場所を前庭として記念館が建てられています。
エリアB(湯田温泉周辺)

下宇野令尋常高等小学校跡(しもうのりょうじんじょうこうとうしょうがっこうあと)
マップ番号9番
 中也は大正3年4月に小学校に入学。山口師範学校附属小学校に転校するまで、4年間ここに通いました。家から見える程近くだったといいます。現在は湯田幼稚園となっています。下宇野令小学校は湯田小学校に名称が変わりました。
エリアB(湯田温泉周辺)

西村屋(にしむらや)
マップ番号8番
 中也が結婚式を挙げた温泉旅館。昭和8年12月3日、中也は遠縁にあたる上野孝子とお見合いののち結婚。新婦は新郎より2センチほど背が高く、写真撮影に手間取ったといわれています。
エリアB(湯田温泉周辺)

湯田温泉駅(ゆだおんせんえき)
マップ番号12番
 中也が利用した駅です。ここから6つめの駅が「冬の長門峡」の長門峡となります。
エリアB(湯田温泉周辺)

中原家累代之墓 (なかはらけるいだいのはか)
マップ番号14番
 市内吉敷の経塚墓地に建つ中原家の墓。
 この墓は、中也の父が没した翌年に建てられました。「中原家累代之墓」の文字は、中也が中学2年のときに書いたものです。中也の遺骨もこの墓に合葬されています。中也の命日には、たくさんの花が供えられます。
エリアC(山口市吉敷周辺)

長楽寺(ちょうらくじ)
マップ番号13番
  中原家の菩提寺。浄土宗。近くの寺と合併した時期があり、再び分離・再建する折、中也の母フクの実母の実家の建物を一時期、長楽寺としていました。
エリアC(山口市吉敷周辺)

水無川(みずなしがわ)
 吉敷川の異名。椹野川に合流。伏流となっていて、流水はなく小石や砂礫ばかり見える時期が多いのでそう呼ばれています。明治維新まで中原家があった吉敷と明治以後居を移した湯田温泉との途中に吉敷大橋があり、中也の祖母スエは乳母車に中也等を乗せ、何度か吉敷と湯田とを往復しました。
エリアC(山口市吉敷周辺)

中原政熊夫婦の墓(なかはらまさくまふうふのはか)
マップ番号14番
 山口市吉敷の経塚墓地にある中也の養祖父母の墓。カトリック信者だった政熊夫婦の墓は、山口市三和町の山口カトリック墓地にありましたが、都市計画による移転に伴い、昭和54年春に現在の場所に移されました。
エリアC(山口市吉敷周辺)

権現山(ごんげんやま)
マップ番号6番
  高さ40メートル程度の山。頂上には和歌山県の熊野権現が祀ってあります。中也は学校をさぼっては、「権現様」の丘で湯田温泉街や山口市街を眺めたといいます。また、後年文也を肩車して権現山へ歩いたことも日記に記されています。
エリアB(湯田温泉周辺)

旧制山口中学校(きゅうせいやまぐちちゅうがっこう)
マップ番号5番
 明治13年、現在の山口県立山口図書館付近に創立、明治34年に山口県尋常中学校から山口中学校へと改名しました。制度改革で山口県立山口高等学校となります。中也は大正9年4月、12番の成績で入学しますが、文学に情熱を傾け、学業を怠るようになります。中也は2年生の頃弁論部に入部。3年で成績不良のため落第しました。
エリアA(山口市役所周辺)

亀山公園(かめやまこうえん)
マップ番号3番
 明治33年、亀山の頂上を公園とし明治維新に関わった人物の銅像が建てられました。中也が通った山口中学校の近くにあり、2年生の中也が弁論部員と撮った写真が残されています。銅像は戦時中に台座のみとなっていましたが、昭和33年再び整備されました。
エリアA(山口市役所周辺)

サビエル記念碑(サビエルきねんひ)
マップ番号2番
 中也の養祖父・政熊が建設にかかわった碑です。クリスチャンとなり、フランス人宣教師・ビリオン神父との交流があった政熊は、フランシスコ・サビエルの日本で最初の宣教所・大道寺跡に碑を建てるというビリオン神父の活動に協力しました。
エリアA(山口市役所周辺)

善生寺(ぜんしょうじ)
マップ番号4番
 山口市古熊にある浄土宗の寺。防長新聞歌壇の選者・毛利碧堂が主催した歌会がこの寺の本堂で催され、山口中学生だった中也も何度か参加しました。写真の本堂は平成16年の台風で破損しました。庭園は雪舟作との伝承があります。
エリアA(山口市役所周辺)

泰雲寺(たいうんじ)
マップ番号16番
 山口市大内小鯖にある曹洞宗の寺。昭和3年春、父謙助の病気見舞いに帰省した際、中也は泰雲寺を訪れています。東側には不動明王を祀る「鳴滝」があります。
エリアD(山口市小鯖周辺)

椹野川(ふしのがわ)
 山口盆地の中央を貫流し、吉南平野を経て瀬戸内海南西端に位置する周防灘に注ぐ川です。中也は少年時、この河原を散歩し遊んだといいます。
広域地図参照